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登山史年表 |
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●登山史年表1「開山期編」
最新更新日:2004.6.3 |
■行者により全国の山が開山。登山道が拓かれ、宗教登山として登拝されていた時代。しかし、史料はあまり多くなく、記述内容も大半が伝説です。
■近世になると史料も多くなり、信憑性も高まります。江戸時代には様々な「講」が起こり、多くの登拝者が信仰の山に登っていました。その意味では登山が盛んな時代といえます。 |
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●登山史年表2「近代登山輸入期編」
最新更新日:2004.6.3 |
■1854年、ウィルスがマッターホルンに登頂し、近代登山が産声を上げました。
■日本には開国した明治期に「近代登山」の考え方が輸入されました。当初は外交官や軍人、学者などの外国人が登山を行いましたが、その後しだいに、日本人登山家や陸地測量部などが主要山岳を登りはじめました。 |
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●登山史年表3「大正編」
最新更新日:2004.6.3 |
■国内の登山界はパイオニア期を終え、近代登山も定着。最初の大衆化の時代を迎えました。一方で、大正デモクラシーという平和な時代を反映し、日本人登山家が本格的にヨーロッパ・アルプスへも進出しはじめた時代です。 |
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●登山史年表4「昭和
戦前編」
最新更新日:2003.11.9 |
■登山技術の進歩により、厳冬期登頂・縦走など登山形態が先鋭化。しかし、時流は第二次世界大戦・太平洋戦争へ向かう軍事態勢の強化により、登山界が低迷した時代です。戦局が混迷すると、物資困窮などにより、文字通り登山は絶滅に瀕した。 |
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●登山史年表5「昭和
戦後T編」
(昭和20年〜50年)
最新更新日:2004.6.3
●登山史年表6「昭和 戦後U編」
(昭和51年〜63年)
最新更新日:2005.2.20 |
戦後の混乱にもかかわらず、国内では登山が早くも復活。荒廃した登山道や山小屋の復旧も進んだ。また、国家の威信をかけた大規模な極地法により、ヒマラヤの8000m峰が相次いで攻略され、日本もマナスルの初登頂を達成。尾瀬の自然保護運動の高まりなどの影響を受け、国内でも登山が大流行した。そして、植村直己や山田昇、加藤保男、長谷川恒男、小西政継などのスター登山家が数多く誕生し、そして散っていった。後半は、ヒマラヤの高峰にも冬季登山や無酸素・単独など、脱極地法による先鋭的登山が主流となった。 |
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●登山史年表7「平成T編」
(昭和64年/平成元年〜10年)
最新更新日:2004.6.3
●登山史年表8「平成U編」
(平成11年〜)
最新更新日:2002.12.24 |
国内ではアウトドアブームや深田百名山ブームにより、中高年者を中心として登山が新たな流行になる。同時に、初歩的な事故や遭難が激増している。
海外ではヒマラヤの高峰も大衆化も進み、商業公募登山が登場。入山者の主流となりつつある。また、大規模登山隊としてではなく、個人的なパーティでの登山が増えている。同時に、登攀スタッフとしてシェルパ族ガイドの能力・体制が整備され、従来の単なる荷役スタッフとしての位置づけからの脱却が進んだ。 |
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●登山史年表9「平成V編」
(平成13年〜)
最新更新日:2003.11.9
●登山史年表10「平成W編」
(平成16年〜)
最新更新日:2004.10.2 |
もう、ほとんどニュースらしいニュースもなく、話題らしい話題もめったにないのですが、作り始めてしまった以上、とりあえず作り続けます。しかし、もはや話題を拾いきれなくなったので、独断と偏見で掲載内容を選択することにしました。
ヒマラヤ登山では「最高齢記録」「最年少記録」などが増え、日本人の活躍が目立っています。
また、ついにというか、当然というべきか南北極点へも商業的公募隊が登場してきました。 |