BOOK「幕末武士の京都グルメ日記 「伊庭八郎征西日記」を読む」

幕末武士の京都グルメ日記
「伊庭八郎征西日記」を読む

山村竜也著
(幻冬舎新書:780円+税)
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江戸時代の出版事情はなかなかのもので、いまのミシュランガイドのようなグルメ番付がいくつも出版されていた。しかも、江戸版、京都版、大阪版、東海道版といったエリアガイドが作られていた。それだけ外食産業が栄えていたということでもある。
そういう事情は知っていたけど、気になったのは「伊庭八郎」という人物。五稜郭で討ち死にした伊庭八郎と「グルメ」という単語が結びつかなかった。伊庭八郎は幕末の幕臣で、後に五稜郭で最期を遂げた、ということしか知らなかったわけだけど・・・。その数年前、将軍徳川家茂の京都上洛に従ったときの日記が「征西日記」。家茂の時代だから、風雲急を告げるという感じでまだ緊迫してはいなかっただろうけど、伊庭八郎、京都で食べ歩き三昧。
いま、伊庭八郎が生きていてスマホを持っていたなら、SNSでグルメ写真をアップし続けるんだろうな、戦場で自撮りしたりするんだろうななどと、おかしな想像をしてしまうけど・・・あながちあり得ない話ではないだろう。

BOOK「江戸の料理史 料理本と料理文化」

江戸の料理史
料理本と料理文化

原田信男著
(中公新書:800円+税)
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この本は江戸時代に出版された「料理本」や「飲食店本」から見えてくる食文化を紹介した本。
いま現在食べられている、いわゆる「和食」の多くが江戸時代にそのかたちが定まった。まあ、大豆醤油が生まれ普及したのが江戸時代だし、にぎり寿司もミツカン酢によるところが大きい。江戸時代の流通があってこそのことで、すべては江戸時代の経済的社会的成長によるものだと思う。そもそも、江戸時代にたくさんの「グルメ本」が出版されていたこと自体がすごいことだと思う。
江戸時代からの300年が長いのか短いのかは考え方次第。そう考えると、戦後一般化したラーメンや焼き餃子、家庭料理としてのカレーライスなんかはまだまだだという気もする。
でも、これだけはいえる。300年後の日本人は、いまのような食事はしていないだろうと。きっと、ミドリムシとか、食べているんじゃないかと・・・^^;;

BOOK「近代化遺産と「すごい」日本人」

近代化遺産と「すごい」日本人
「ニッポン再発見」倶楽部編
(知的生きかた文庫:590円+税)
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「富岡製糸場」が世界遺産に登録され、「明治日本の産業革命遺産」が続き、次はこちらもとばかりに日本各地の日本近代化遺産が色めき立っている。いままであまり日の目を見てこなかった産業遺産が注目され、保存されていく意義は認めるけど・・・中には観光地されることを望んでいるだけの声も混ざっていて、どうなんだろうと首をかしげたくなることも多い。
とはいいながら、仕事を含め、日本各地に出向いた割には、わたし自身はこうした産業史遺産をほとんど見たことがない。
この本では、そんな産業史遺産となった各地を紹介しているのかと思いきや・・・メインは人物。明治期の日本の近代化を支えた政財界人、技術者など30人あまりを紹介している。よく知られた人から、あまり知名度のない人までいろいろいるけど、30余人という枠にこの人が入るのかという疑問がわくような人もいたりする。まあ、誰とはいわないけど^^;;

BOOK「イギリス史10講」

イギリス史10講
近藤和彦著
(岩波新書:940円+税)
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シリーズというわけではないのだろうけど・・・岩波新書の「ドイツ史10講」「フランス史10講」を読んでいた流れで、イギリス史はこの本を選んだわけだけど・・・なんだこれ?という感じ。ぐちゃぐちゃした印象のヨーロッパ史にあって、イギリスは島国なので、比較的わかりやすい印象があった。にもかかわらず、この本のおかげで・・・ちょっとイギリスが嫌いになった。
イギリスの歴史以前に、日本語としてまともではない。岩波新書ともあろうものが、どうしてこの文章でこの本を出版したのか理解に苦しむ。いままでに読んだ岩波新書でトップクラスのハズレ本だった。
著者にはなにかこだわりでもあったのだろうけど、中二病のようなルビを打ち、一人で陶酔したような意味不明な描写を加え・・・肝心なことがなにも伝わってこない。とりあえず、イギリスの歴史の流れだけでもなぞっておければと、ナナメに読み飛ばして終わりにした。

BOOK「世界を駆けた博物学者 南方熊楠」

世界を駆けた博物学者 南方熊楠
(南方熊楠顕彰会:500円)

仕事の関係でいただいた冊子。和歌山県田辺市にある「南方熊楠顕彰会」がまとめたもので、顕彰会のHPからも購入できる。A5版64ページ。地方の博物館などが発行したこういう資料は現地に行かないと手に入らない。現地に行っても、タイミングが悪いと売り切れだったりする。
南方熊楠は、昨年、生誕150周年だったので、いろいろメディアでも取り上げられたし、イベントなども行われた。わたしも何冊か本を読んだし、昨年12月から開催された国立科学博物館企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」を見に行った。
南方熊楠顕彰会は熊楠研究の中心となる存在で、博物館というよりは研究所の性格が強いようだ。近年、その評価が変わってきている熊楠だけど、ここでの研究成果が元になっているのだろう。
この冊子は、2017年10月1日の第4刷で・・・2006年の初版以降の改版はないようだけど・・・科博の企画展での印象と異なる内容はなさそうなので、それなりに新しい研究成果も盛り込まれているのだと思う。

BOOK「1688年 バロックの世界史像」

1688年
バロックの世界史像

John E. Wills Jr.著
ジョン・ウィルズ、別宮貞徳:監修
片柳佐智子、鈴木忠昌、徳植康子、中尾ゆかり:訳
(原書房:2,800円+税)
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出版時、それなりに話題になった本で、世界中の国や都市の1688年時点の姿を並列的に描いたユニークな歴史本。なぜ1688年なのかは不明。大きな事件や出来事は起きていないし、特別な年とも思えないけど・・・読後の推測では、世界の主要な地域が世界史という形で本格的につながりはじめた時代の代表・・・言い換えれば、欧米人に全世界が認識された時代だからだろう。この時期、オランダやイギリスの東インド会社がヨーロッパとアジアを結び、北米西海岸からマニラまでの航路も開かれ、オーストラリアを含む全世界が結ばれていた。
教科書的に地域史をたどっていくのとは全く違う感覚で、いろいろ発見があったりするけど・・・けっこうわかりにい。予備知識がなく、馴染みのない地域の状況を把握するのに一苦労する。
1688年・・・北米では欧米諸国が争うように領土を広げ、アフリカではポルトガル人があらゆる手段を駆使して奴隷をかき集めていた。インドではムガル帝国とイギリスが戦争状態。ロシアが太平洋岸に迫り、清朝との国境が画定されようとしていた。パリではヴェルサイユ宮殿でルイ14世が贅を尽くし、イギリスではニュートンが『プリンピキア』を出版。宗教が影響力を弱め、錬金術から科学が誕生しはじめていた。
1688年は、日本でいうと貞享5年/元禄元年。江戸幕府は犬将軍・徳川綱吉の時代。すでに鎖国状態が完成し、日本は長崎のみで海外とつながっていた。元禄といえば、江戸文化が最初に盛り上がった頃で、当時の金沢・江戸・長崎について触れられている。人口10万人の金沢は、世界の20大都市のひとつに数えられるという。文化面では井原西鶴と松尾芭蕉を取り上げている。他の地域のことはわからないけど、日本に関する記述は、偏見なく描かれていると感じだ。

BOOK「大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史」図録

東京都美術館(2015年6月)と神戸市立博物館(2015年9月)で観た企画展の図録。たまたま古本屋で見つけ、安かったので購入した。新品同様の美品で、600円(税込)は買い得だった。
上野でも神戸でも、どちらも混雑していて、じっくり展示を見る余裕すらなかった。2回観たので、計40点くらいに絞り込んで、気になるものだけ順番待ちをして観たはずだけど、改めて図録を見ると、意外にもよく憶えていることに驚いた。やっぱり、実物を直に見るときの印象は強いらしい。
当日スルーしてしまった品々も改めて確認すると、スルーした理由まで思い出せた。日本人であるわたしには、やはり西洋の歴史や文化に馴染みが薄く、厳選されたであろう100点の中でピンとこないものがけっこうある。図録を読むと、その展示品にどういう歴史を語らせたかったのかが解り、なるほどなとは思う。それでもやっぱり、その展示品から感じる存在感なんかは、ヨーロッパ人のそれとは違うのだろう。こればかりは文化的背景が違うのだから仕方がない。
日本から選ばれたのは「縄文土器」。世界最古の土器文化だから、これは納得がいく。他にはないのかという気もするけど、ありそうでいて意外にない。ユーラシア大陸の端っこで、あまり世界との関わりが少ないのは確かだし・・・。
それにしても、大英博物館、行ってみたいなぁ。1週間くらい通って、じっくり見たいものだが・・・。

BOOK「天文の世界史」

天文の世界史
廣瀬匠著
(集英社インターナショナル新書:amazon:734円)
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人間と天体との関係、地球と星々との関係を、大まかな天文学の発展に合わせた流れで・・・太陽・月・地球、惑星と太陽系、星座と恒星、流星・彗星・超新星、天の川・星雲星団・銀河、宇宙観という対象の広がりに応じて、各項目の歴史的解説を行っている。その当時の天文学者が何を知りたかったのか、何をどう認識していたかという視点で、天文学の流れを伝えている。
古代エジプト・古代インドでは・・・などといわれても、あまりピンとこないけれど・・・政治や宗教、農業などにとって、天文学は密接なものだった。でも、科学が進歩するにつれ、どんどん遠い存在になっていくのを実感した。先端科学の常として、宇宙がブラックボックス化してしまったともいえる。まあ、東京に暮らしていると、夜空を見上げる機会もないし、そもそも星がほとんど見えないからなぁ。
個人的には閏年が気になった。現在のグレゴリオ暦では、一年は365日。ただし、4の倍数の年は閏年として366日。その上で、100の倍数の年は閏年としないけど、400の倍数の年は閏年にする。100年単位での特例だから、わたしの一生の中では西暦2000年が該当したけど・・・400の倍数だから普通に閏年だった。次の例外は2100年・・・わたしはとっくに死んでいいるだろう。