遺言では、この地で神として祀られることで、家康自身が「八州の鎮守」となるのだそうだ。それが、江戸時代の繁栄と平和をもたらしたのかも知れない。まあ、この辺の話しは、江戸開闢に「風水」が影響した云々と、テレビ番組などでもよく紹介されることがある。本当かどうかはわからないけど・・・。
この一文を書くために、東照宮の公式HPを見たけど、どこにも「家康の墓」の紹介がない。墓は死体を埋めるところでご不浄だから、そう表記はできないんだろうな。それに、家康は権現様になっているわけだから、そもそも墓ではないわけだ。・・・ということで、奥宮の「銅宝塔」ということになる。


